そして、こんな土産を持って帰ってきました。
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これは、「ふくれみかん」という。実は、以前当ブログですでに紹介している。こちらの記事です→柑橘系のはなし、柑橘系のはなし 2
過去の記事にも書いているように、また、上の画像を見ていただいても分かるように、ふくれみかんは、ごく小さいみかんである。
皮を割ってみると、こんな感じ。
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見たところ、普通のみかんと同じみたいである。しかし、ふさ単体の画像を見ていただくと、「こんなに小さいか」とわかっていただけると思う。
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上の画像は、ことさら小さなふさを選んだわけではなく、これが標準の大きさである。
ふくれみかんは、小さくて、すっぱくて、種が多い。
だから、近代的な果物商品流通から脱落したのだろうな。私は好きなんだけど。これを3つ食べるより、温州みかんを一つ食べる方が、話が早いからなあ。
過去記事でも書いているように、ふくれみかんは、みかんの果実を食べるよりも、皮を七味の香り付けに使うことの方が有名である。だから、実を食べないからと言って、生産者がいなくなってしまうことは無いと思えるのが救いである。
ところで、上の画像のふくれみかんは、はるばる筑波山のふもとからつれてきたのである。ふくれみかんを庭に植えている人に、「子供の頃ふくれみかんを食べた記憶がある。非常に好きだったが、もう二十年以上会っていないので、ぜひ再会したい」と言ったら、庭からもいできてくれたのだ。
私は、ありがたく、ふくれみかんをいただき、さっそく一個食べてみた。記憶の中のふくれみかんよりも、酸っぱさが柔らかく、種も少ない(それでも、普通のみかんよりは多い)。皮を破ったときにたつ香りも、記憶にあるものよりも穏やかで、「昔食べたやつよりも、野趣が薄まってる?」と思った。しかし、あまりにも古い記憶なので、年月がたつうちに、私の脳が「より個性的なみかん」の方向に、記憶を修正していった可能性もある。
ふくれみかんをくれた方は、「え、ふくれみかん好きなの?」と私に言った。「なんてまあ、もの好きな」といったニュアンスである。明らかに、普通のみかんの方がおいしいだろうに、と思っておられるのだ。
その、「なんてまあ」な顔を見たら、私は忽然と思い出した。
20年以上前にも、そういわれたのだ。
私がふくれみかんを好きだと言ったら、ふくれみかんをくれた親戚は「こんなものが好きなのか」と笑い、そればかりか、その町内の皆さんにまで笑われたのだった。ふくれみかんは、あたりまえの果実としての商品価値に乏しい上に、実付きが恐ろしく良いもので、産地の人たちは、ふくれみかんを必要以上に馬鹿にしている気配があるのだ。
馬鹿にされているのをいいことに、私は大袋にいっぱいのふくれみかんを貰って帰ってきた。「こんなもので悪いねえ」と言われながら。
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しばらく、落ち着かない生活をしていた管理人ですが、ようやく普段の生活に帰ってきました。
家を長時間空けたりしていて、家の中が荒廃している以外は、元気であります。ご心配くださった皆様に、感謝を申し上げます。
ろくに更新しないブログに通ってくださった皆様にも、感謝申し上げます。ありがとうございました。

ただいまでーす。